大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和38年(わ)1589号 判決 1964年5月18日

被告人 山田裕久

昭一六・一・二八 釣舟船頭

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実は、「被告人は氏名不詳者一名(二〇才位の男)と共謀の上、昭和三八年八月二八日午前一時四〇分頃横浜市神奈川区幸ヶ谷一二番地幸ヶ谷公園内において夕涼み中のA(三八歳)を強姦しようと企て、矢庭に同女に襲いかかつて仰向けに押し倒し、一名が肩、腕を抑えつけ他の一名が馬乗りとなる等の暴行を加えてその反抗を抑圧し、被告人、氏名不詳者の順に強いて同女を姦淫したものである」というのである。

よつて証拠により審究するのに、被告人の当公判廷における供述並びに司法警察員及び検察官に対する各供述調書に受命裁判官の証人Aに対する尋問調書及び検証調書を綜合すると、被告人は、昭和三八年八月二七日午後一一時頃横浜市神奈川区棉花町一丁目五番地所在の自宅に近い神奈川公園を散歩中、偶々同所で年令二二、三歳位の氏名不詳の男(以下単に氏名不詳者と略称する)と知り合い、夕涼みがてら連れ立つて翌二八日午前零時頃同区幸ヶ谷一二番地幸ヶ谷公園に到り、同公園内展望広場(見晴台)のベンチに寝転んだりして休息していたこと、次にA(以下便宜被害者と略称する)は、当時年令三八歳の台湾婦人で過去において結婚の経験があつて、同月七日から同区宮前町一丁目二二番地中華料理店新会芳楼で店員として住み込みで働いてきたものであるが、同月二八日午前一時三〇分頃同店から程近く徒歩約五分位距つた前記幸ヶ谷公園にひとりで夕涼みがてら散歩に来て同公園展望広場のベンチで休んでいるうち、偶々同所で前記の如く休息中の被告人等に出会つたことを認めることができる。

然しこの先の状況について被告人は当公判廷において終始、氏名不詳者と共謀のうえ被害者に暴行を加えて強いて姦淫した事実を全く不認し、被告人が前記幸ヶ谷公園内で氏名不詳者と共に被害者を唯からかう積りで近付くと被害者が逃げたのでこれを追い、追い付くや被害者の行手に立ち塞り何かと話し掛けたうえ、氏名不詳者において「さわらして呉れ」と申し向けたところ、被害者は一旦これを拒んで「一五分位待つて呉れ、ビールを持つてくるから三人で一緒に飲もう」等と答えたので、被告人等は被害者と連れ立つて前記幸ヶ谷公園を出て前記新会芳楼附近に到り、其処で被害者と別れて同女が戻つて来るのを待つたが遂に姿を見せなかつた旨弁疎しているので本件においては正に被告人等が公訴事実の如く共謀のうえ被害者に暴行を加えて強いて姦淫した事実の有無が問題になるのであるが、この点に関し受命裁判官の被害者に対する証人尋問調書及び検証調書並びにその証明力を争うために取り調べられ従つてそれ自体被告人の犯行を認定するための証拠となし得ない被害者の司法警察員に対する告訴調書中にはいずれも公訴事実に副う供述記載があり、又被告人の司法警察員に対する昭和三八年九月六日附供述調書及び検察官に対する供述調書中にも公訴事実を自白している供述記載があるが、右各供述記載は以下に述べる理由によりいずれも直ちにそのとおり信用し得ぬものがあり、その他当公判廷において取り調べた全証拠によつてもこの点につき犯罪の成立を認めるには不十分である。

第二、以下その理由を説明する。

(一)  受命裁判官の被害者に対する証人尋問調書によると、被害者は、被告人等から公訴事実の如く暴行を加えられて姦淫されたことを認め、その際の状況について、被告人等との言葉の遣り取り、被告人等の加えた暴行その他の言動或いはこれに対する被害者の抵抗の模様等を、その内容の一部は後に要約摘示してあるとおり、逐一具体的に供述していて、その供述の内容はこれを一見すれば体験したことのある者において始めて述べ得られるように極めて明確で詳細に亘つており、そしてこの点においては被害者の司法警察員に対する告訴調書においても略同様であつて、このことからみれば被害者の右供述記載はこれをそのとおりに信用するに価するかのように考えられるのであるが、然し右各調書と前記検証調書とを相互に比較検討すると、右各調書の間には以下述べるとおり重要な事項について看過することのできない喰い違いがあり、又その喰い違いがあるが故に被害者がその受けた暴行乃至姦淫の被害事実を逐一具体的に述べていることが却つて不自然にもみえるのである。

即ち

被害者の前記証人尋問調書中には要約すると、

前記幸ヶ谷公園内において、被害者がへこんだところを飛び降りた。降りたところは広つぱだつた。其処で被告人等が追い付き手を開いて行手を遮つたので、被害者が「あんた達何するの」と聞いたところ、氏名不詳者から「どうもしないけれど唯君の体をよこせばいいのだ」と言われ、同所で暫く言葉を応酬し合つている中、先ず氏名不詳者が「兎に角寝ればいいのだ」と言つて手で被害者の胸を押したため、被害者は中腰のようになつて一旦倒れかかつたが、更に再び同様の方法で押し倒されたところ、傍に佇立中の被告人が急に来て倒れている被害者の上に乗り掛かり、スカートを腹部辺まで巻くり上げ、ズロースを脱がそうとしたが脱げなかつたため横から入れ、この間被害者においても体を動かしたり足で蹴つたりして抵抗したが氏名不詳者には両手を押さえ付けられて抗し切れず、遂に被告人に姦淫され、終るや氏名不詳者に「お前だ」と言つて立ち上ると、続いて同所で氏名不詳者が被害者の上に乗り掛かつて来て相次いで姦淫した。姦淫後被害者は「馬鹿野郎」と言いながら立ち上り、先に這いずつて坂を上り、被告人等は後から追いて来た。上に上つて一五分位歩き廻りながら被告人等に対し種々詰問したりしている中、氏名不詳者が再び「もう一回やらせて呉れ、そうしたら帰してやる」等と言つて被害者の胸を押し倒し、乗り掛かつて姦淫しようとしたが、ここでは被害者が後記のような口実を設けたため結局姦淫するに至らなかつた、

旨の供述記載があり、これと前記検証調書とを照らし併せてみると、被害者が最初に被告人等から右のような暴行を加えられて姦淫されたとする地点は、検証調書末尾添付の現場検証見取図に表示されている如く、前記幸ヶ谷公園小苑地内<5>の地点附近であつて、同所において被害者は被告人及び氏名不詳者の両名から順次強姦されたというのであり、その後更に同公園苑地内<6>の地点附近において氏名不詳者から押し倒されて姦淫されかかつたというのであることが認められる。次に前記検証調書中被害者の指示説明によると、前記現場検証見取図に表示されている如く、被害者は前記幸ヶ谷公園苑地から小苑地に通ずる崖道<C>を通つて小苑地内に降り、同地内<3>地点附近まで来た時、被告人等が前方<4>地点附近に立つて行手を遮り、<5>地点附近において仰向けに倒されて先ず被告人に姦淫された後、被害者は再び前記崖道<C>をのぼつて前記苑地内に到つたところ、同地内<6>地点附近において氏名不詳者に姦淫されたというのであつて、これによると被害者の前記証人尋問調書の記載内容と異り、被害者は小苑地内では被告人に姦淫されただけであつて、氏名不詳者にはその後苑地内で姦淫されたというのであることが認められる。

更に被害者の前記告訴調書中には要約すると、

被害者は走つて一段低くなつているところに逃げたが、被告人等は早く、五米も走らないうち捕り、手を拡げて行手を遮つたので、被害者が「あんた達私をどうするの」と問うと氏名不詳者が「兎に角おまえの身体をよこせばよいのだ」と答え、ここで暫く言葉を応酬し合つている中、被告人が「兎に角やつちやえ」と言うや氏名不詳者もこれに応じ、いきなり被告人が被害者の胸を押し、氏名不詳者が肩、腰を掴んで草むらに押し倒したうえ、被告人は被害者の胸を手で押さえ、氏名不詳者がスカートを巻くり上げ、ズロースを脱がそうと引張つたけれども抵抗されて脱がせられず、更に二本の指を陰部に突き入れて来た。この間被害者は抵抗を続け隙をみて立ち上るや被告人等に対し「こんなところでは嫌だから上に行きましよう」と言つて公園の一段と高くなつたところに上つた。上に上つてから逃げ道を探がそうとしたが被告人等に掴えられていて逃げられず、そのうち再び被告人等は被害者を仰向けに押し倒し、氏名不詳者が肩を押さえ、被告人が先ず乗り掛かつて姦淫し、次いで氏名不詳者が同様姦淫した、

旨の供述記載があつて、これを前記検証調書に照らし併せてみると、被告人等がそれぞれ姦淫したというところは被害者の前記証人尋問調書と異なることは勿論、前記検証調書中被害者の指示説明とも喰い違い、被害者は被告人等から最初前記幸ヶ谷公園小苑地内において右のような暴行を加えられたがこゝでは姦淫されず、その後同公園苑地内において被告人、氏名不詳者の順に姦淫されたというのである。

以上観てきたように被害者が被告人等からそれぞれ姦淫されたという場所的関係等についての供述は首尾一貫せず、供述の時によつて変化している。固より人の知覚乃至記憶力の不全性を考慮し、加えて本件の特殊事情、即ち本件においてはその時間は深夜の午前二時に近いことで、被害者が前記幸ヶ谷公園に来たことがあるのは過去二度位で同公園内の地理に疎く、而も強姦という被害を受けた者が屡々陥りがちな恐怖、不安等による興奮した心理状態のため被害の状況を正確に知覚することに極めて不利な影響を与えられることは掌ろ通例に属することで、このことからすれば供述の内容に多少の喰い違いのあることは当然の事であり、従つて前記の如き喰い違いも敢えてこれを疑とするに当らないと考えられなくもないが、然しこの点を考慮に入れても尚、前記検証調書によると、同じ公園内のこととは雖も、小苑地の南側に一段低く位置し、謂わば苑地の土手下に拡つている広場で、両地の高低の差は約三米余もあつて、その地勢に格段の相違があり、両地の間を通じている崖道<C>は高さ約三・三米、長さ約五米、幅員約二米の勾配急な、道と呼ぶより寧ろ土手崩れの痕跡を呈し、通路として供され得るものでなく、又附近には外灯の設備もあることが認められ、そして被害者においても本件の際このような地形の起伏を或る程度認識していたことは被害者の前記各調書中の記載内容から窺い得るところであつて、以上のような両地の地勢の相違を顧慮するならば、被害者が被告人等の加えた暴行その他の言動或いはこれに対する被害者の抵抗等の内容を逐一明確具体的に述べているのに、前記の如き喰い違つた供述をしているのは如何にも不自然であつて、これをもつて姦淫の事実の認定に影響のない単なる軽微な錯覚と言いきることができず、このため被害者が前記各供述記載のとおり果して真に被告人等によつて暴行を受けて強いて姦淫されたことがあるのか、その信用性が大いに疑問とされるところ、この疑いを解消すべき資料は他に何もない。

(二)  次に犯行後の被告人等の行動について被害者の前記証人尋問調書中には要約すると、

前記のように、被害者が前記幸ヶ谷公園苑地内で再び氏名不詳者から姦淫されそうになつたため遁れる口実として、被告人等に対し「そば屋に勤めている」「うちにビールもあるから一本ここに持つて来て、またゆつくり話をしよう」と言つたところ、被告人等は当初は却々これに応ぜず、被害者宅の電話の有無を尋ねたりして被害者をこの侭帰宅させることによつて犯行が露見されるのを虞れる言動を示しながらも、結局被告人等も被害者に従うこととなり、その侭被害者は被告人等と共に住込先の前記新会芳楼近くまで来て、同所で被告人等に対し必らず戻る旨約して別れ、逃げ帰つた

旨の供述記載があり、次に受命裁判官の証人楊李阿珠の尋問調書中には要約すると、

被害者が帰宅後間もなく、被告人等が前記新会芳楼の表戸を引張つたり窓ガラスを通して店内をのぞき込んだりしているのを同店の者に発見されて逃げ去つたが、程なくして再び引き返し同店窓ガラスに投石してガラスを割つたりして、氏名不詳者はその侭逃走したが被告人は同店の者に捕まり詰問されているところに電話通報を受けて駈け付けた警察官に逮捕された。

旨の供述記載があり、そして以上のように被告人等が被害者の言によつて被害者と連れ立つて前記幸ヶ谷公園を出てからその後警察官に逮捕されるに至るまでの行動状況は被告人においても概ねこれを認めているのである。ところで強姦後においても、例えば加害者が被害者と顔見知りであつたりそうでなくとも被害者に引続いて交際を求めたり等して更に加害者が被害者につきまとうことは一般の事例としても屡々あることであつて、強姦後更に被害者につきまとつたとの一事をもつてそれを通常あり得べからざることとして強姦行為自体の存在を疑うことができないこと勿論であるが、然し本件においては被告人等にとつて被害者は是迄全然未知の人で、本件において偶然出会つたものであり、その被害者は年令三八才の謂わば中年の女性であつて、若し被害者が供述するように被告人等が暴行を加えて強いて姦淫したとするならば、その後更に、その犯行が露見され、場合によつては警察官に通報、逮捕されることの危険を冒してまで、被害者の前記の如き言に従つて諾々と被害者と共に被害者宅附近まで来て、而もその上被害者宅で執拗に戸を引張つたり戸内をのぞき込んだり投石したりする等の行動に出るであろうか、この点極めて疑問であり、この疑いを解消すべき資料が他にない本件においては、このような行動を強姦を犯した者の行動として理解するよりは寧ろ被告人の冒頭掲記の弁解のように解したほうが自然であるとも考えられるのである。

(三)  被害者の前記のような被告人等によつて強姦された旨の供述記載にはそれに対する客観的な裏付が全然存在しない。

若し被害者の強姦されたとする前記各調書の供述記載をそのとおり信用するとするならば、その際の状況からして、被害者若しくは被告人の身体或いはその着用の衣類に相当の精液又は土砂等の附着が認められて然るべきところ、これを現認した証人は全然いず、又これについての何らの資料も提出されていない。

尤もこの点については被害者の証人尋問調書によると、被害者は帰宅後着用の衣類を洗濯し又自己の身体を洗浄したため、その後医師の診察を受けた際にも何の痕跡も発見されなかつたというのであるが、被害者が着衣等を洗濯している事実を現認した者なく、この点に関する証人楊李阿珠の前記証人尋問調書中の供述記載も漠然とした印象が記載されているだけであつて、右事実を積極的に認める資料となし難く、加えて右事実の有無に関りなく、被害者の前記のような強姦されたとする供述記載をそのとおりに信用するならば、その際の状況からみて被害者の身体各部に少なくとも擦過傷程度の傷害が残る可能性が強く、事実被害者の前記告訴調書中には「抵抗で右手の甲のところをかすり傷のように皮膚が赤くなつた」旨の供述記載があるのに、このような傷害を認定するに足る客観的証拠は全然ない。

(四)  被告人は当公判廷においては冒頭掲記の如く陳述して終始犯行を否認しているのであるが、これより先昭和三八年九月六日の司法警察員及び同月五日の検察官に対する各取調においては公訴事実と合致する供述をして犯行を自白しているのである。これに対し被告人は当公判廷において、一人で本当のことを言つても通らないと思い、やつたことにして示談して貰おうと考え迎合的な供述をした旨弁解している。然し被告人の右各捜査官に対する自白の任意性を疑わしめるような事情はこれを窺うことができないので、以下その信用性について考えるのに、先ず被告人に対する取調の経過をみると、被告人は前記のように昭和三八年八月二八日逮捕され引続いて勾留されたのであるが、逮捕当日の司法警察員に対する取調においては当公判廷におけると略同様の供述をして犯行を否認し、その侭検察官に送致されて前記のように自白するに至り、次いで司法警察員に対する取調においても同様犯行を自白したものである。そして右各自白調書と当時既に作成されてあつた被害者の前記告訴調書の記載内容を比較検討すると、右各調書相互の間で犯行の際の状況について多少の精粗、差違のあることは認められるけれども概ね一致し、更に被害者の前記証人尋問調書と比較すると、そこにはこの調書と前記告訴調書との間に存するのと同様の前記の如き喰い違いがあることが窺われる。以上の事実に被告人の当公判廷における供述態度及びその内容を併せ徴すると、是迄前科のないことは勿論検挙歴もなく、逮捕、勾留されたのははじめての経験である被告人が、捜査官の追究に唯事を早く済ませたい一念に急で事の重大性を弁えずに漫然迎合的な供述をしたことを全然否定することもできないのであつて、右自白をそのとおりに信用するには疑問がある。

第三、以上の次第によつて、被告人の冒頭掲記の弁解をもつて直ちに罪を遁れるためだけの弁解と断じ、被告人を本件公訴事実につき有罪と認めるには多くの疑問が残り、そしてその他当公判廷で取り調べた全証拠を検討するも遂にその疑いを解消すべき資料を見出すことができなかつた。結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 大中俊夫 田辺康次 三宅陽)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例